自己紹介 私編
私の生い立ちと
施設に入るまでのことを書きます。
1984年6月次女として誕生
年の差不明の姉がいます
一つ下に弟、三つ下に妹
6人家族になる
この頃の記憶は断片的ですが何かから逃げていたような
引っ越しをよくしていたような
親に連れられパチンコにいたような
父と母がふたりでお風呂に入ってたような
繰り返しとなりのトトロを見せられていたのはよく覚えています
妹が生まれて一年くらいかな
母が姉と妹を連れて出ていく
お金になりそうな物を持って行ったそうな
母はいろんな男性との間に子どもがたくさんいます
新しい男性ができたから私と弟を引き取りたいと一時期父と離れて、母と暮らす
はっきりとした理由も期間も分からないが、この後父とまた暮らすようになる
父のところに帰りたいと母に何度も話したのは覚えている
父、私、弟の3人家族になる
父は鳶(とび)職人で仕事中は祖母や親戚の家を転々とする
おそらく祖母や親戚とすぐ関係性が悪くなり、弟と私は朝から夜まで家で留守番することに
この頃私は4、5歳くらいかな弟は3、4歳かな
記憶はだいぶあります
父が作ってくれたおにぎりをタッパーいっぱいに詰めてくれてました
それを食べてたんでしょうが、多すぎたのかおにぎりばっか食べれなかったのか残ったものはベランダの灯油缶の後ろに隠してました
後日ばれて「もう作らんからな」と言って怒られました
何してたかと言うと、父のビデオを見たり
父の使ってたムースをベランダから発射させ
1階の服屋に怒鳴られたり
家の前に本屋があって万引きしてました
父が昼に帰ってきた時があって、その時は外で昼ごはんを食べました
そのまま現場に連れて行きたかったようなんですが、大人より食べるの遅い私たちは結局お店の人に「食べたら帰して」と置いてけぼり
親戚も一度だけ来てくれました
帰った後に大泣きしたのを覚えています
その時弟は寝てました
親戚の勧めで施設へ
一時保護所に入る時の父の悲しそうな顔をよく覚えています
男の子と仲良くなって名前を忘れないようにと思ってたけど忘れちゃった
何日か後に父と誰かと施設まで行きました
少し離れたとこからこれから入る施設を見た風景を覚えています
6歳 児童養護施設入所
9歳 母が妹を連れて父宅へ
妹の親権も父になり同じ施設へ入所
12歳 友だちができずひとりで過ごすことが
多い中学生活
この辺りから希死念慮がでる
15歳 白菊高校(看護科)受験するも落ちて
普通高校へ
16歳 アルバイトで退所後の生活費稼ぐ
(スーパーのレジ、本屋、歯医者)
18歳 施設退所
看護学校へ行きながら寮生活
弟岡山の授産施設へ転所
20歳 私宛に役所から手紙
知らない名前の人が生活保護を
申請しているとのこと
父に確認し母であることがわかった
生活費の援助を断る
21歳 父死去
正看護師資格取得
合宿(熊本)で運転免許取得
病院一般病棟勤務(お礼奉公)
23歳 病院閉院 解雇
お礼奉公の1年間免除
24歳 ボランティア、配食サービスの手伝い
自立支援センターでアルバイト
弟、同じ施設で育った姉弟の4人で
同居後、姉は海外へ
弟、弟、私の3人暮らし
夫と出逢う
25歳 精神科病院勤務
26歳 夜勤のない診療所へ転職
27歳 結婚
28歳 夫開業のため退職
不妊治療のため服薬するも薬の副作用
で1ヶ月で断念
漢方やハーブティーを飲んだり、
子宝祈願する
妊活1年半やっとこさ妊娠
義母死去
夫製菓調理学校入学
30歳 長男出産
産休・育休
私もお店をすることになり診療所退職
31歳 コーヒー屋開業
33歳 次男出産(妊活1年と1ヶ月)
35歳 長女出産(妊活1ヶ月)
今日で38歳。現在に至る。
時期を区切ってまた詳しく書きますね。
ではまたね。